最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

政治家の言葉から学べること

政治家の言動は反面教師になる。

小泉進次郎のように才能があっても時代がみえていないとあのようになる。

気楽な批判者だった頃の癖がまだ抜けていないようにみえる。

今求められるのは型に収まった前向きな発言ではない。

現状と可能な対応策の説明のみである。

彼が大臣になって統治する立場になった途端に歯切れが悪くなるのはいわば事の道理なのだ。

奥さんは何も悪くない。

統治する能力と批判する能力は全く違うのである。

統治する側になれば判断の結果に伴う副作用は常に少数者の切り捨てである。

この重さを理解しているならば多弁にはなれない。

権力を志向する者が理想を語る時は命をかけた時のみだろう。

 

ところで、政党というのは単なるプライベートな結社に過ぎない。

このスタート地点を解説しないのはメディアの悪意である。

自民党総裁を選ぶことと民主主義とは全く関係がない。

国会議員でなければ内閣総理大臣にはなれないという限りにおいて民主主義を貫徹させようとするのが議院内閣制である。

この現状の説明があってはじめて党員選挙の意義もみえてくる。

 

菅さんでよいと思う。

安倍政権の延長という具体的な姿勢をしっかり打ち出している点がよい。

言葉に責任を持っている証しである。

実際今できることには相当限りがある。

縦割り行政の弊害を除去も掲げていたが、これも官房長官時代の経験を活かそうという趣旨であろうから意味のある対応策といえるだろう。