最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

次元上昇というものについて

最近よく次元上昇という言葉にあう。

その意味するところは何だろうか。

私は体験上、智慧による視点の切り替えであると感じている。

つまり、物事の見え方などがより高い視点を得て決定的に変わるということである。

おそらくほとんどの人が無自覚的にせよ日常で経験していることではないだろうか。

学問においても概念整理において上位概念を想定することで説明をスムーズにすることがあるが、これと似ているところがある。

 

智慧を得るためにはどうしたらよいか。

私は日常生活で手を抜かないことだと思う。

どんな立場でもよい。バイトでも大丈夫。

宗教的な行よりも普通に徹することの方が難しいのではないか。

冷たい事も熱い事も普通に徹することが出来る者ならばおそらく耐えられる。

一週間しっかり働いて休みに聖典に触れたり法要に参座したりする。

これが最も優れた生き方であると思う。

昨日の記事で闇を理解する必要はないことを書いたが、つまらないことはする必要はない。

大袈裟な例えかもしれないが、もしヤクザに「俺の気持ちがお前に分かるか!」と言われたら「それは分かりません」でよいのだ。

しかし、ヤクザに仏の道をみせていくことが責務になるだろう。

 

ともあれ、目の前の苦難から逃げずに一つ一つ全うするように努力することで着実に次元上昇の機会を得ていくことになる。

注意すべきはその苦しい時に教養というものにとらわれてはいけない。

教養ほどごまかしが効いて自分の不真面目さを偽装できる手段はないからだ。

教養は無視しよう。

あくまで霊的に実体的な迫力如何である。

精緻な祈りであったり大胆な祈りであったりそれは融通無碍である。

 

何度もブログで書いているが、おさらいしておこう。

空を理解しようとし読経等の三昧において心を耕し持戒を通して定を実践しその有難みに納得できたときに智慧が生じ諸々の疑心が破れ不動心が芽生えてくるのである。

智慧をもって大衆を救済することが道である。

大衆に迎合していくことは道ではない。

 

次元上昇したいならばまず人気者になろうと思ってはいけない。

嫌われることを恐れるな。

するべきはただひとつ。

自分の学歴を忘れてただ尊い如来様に帰依していくことである。