最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

この休日は高い所へ逃げるために使え

朝夕の読経修行、これが効く。

まさに心の掃除片付けである。

どんなに感情的であってもピシっと張りつめた読経の功徳の誘導がある。

5月である。

性エネルギーを昇華させていこう。

いや、このブログではさらにその先をいく全エネルギー昇華である。

さらに上を目指していきたい。

エイトセンシズである。

 

全国的に緊急事態宣言的状況下にある。

遂に危機的状況が本格化しつつあるように思う。

政府による経済的な保障もない中で複合的に激震災害が起こって来るだろう。

過酷な夏が近づいてきている。

最近の肌寒さにその予兆を感じるのだ。

雷と風を伴った異様な天候、不気味である。

今年の台風はさらに大型化してくるはずである。

巨大台風に見舞われる可能性が非常に高い。

今非常食等の準備はしておいた方がいい。

これは取り越し苦労ではない。

 

凄い時代を生きている。

天災、人災、被侵略の最中にある。 

あれさえすればなんとかなるという発想はもう通用しない。

もう何もないのだ。

世間が語る希望というものはすべて肉体中心であり刹那的な快楽でしかない。

今を精一杯教えに生きること自体が結果であるとせねばこれからの活路は見出せないだろう。

遠い先を思い悩むことはむしろ油断している証しであろう。

常に未来は教えを通して明るく感じていくだけでよいのだ。

それはただただ魂の成長として。

現実は現実として次々にやってくる。

智慧をもって今それを迎え撃つつもりでいよう。

現実はただただ魂を成長させるためにある。

苦しいという感情さえも智慧をもって乗り越えていくところに妙味がある。

 

この休日は祈りを深めることに使わねばいけない。

ともかくも戒定慧である。

正気でいられることはもはや当たり前のことではない。

せめて人間格でいられるか否かという瀬戸際の戦いにあることを知らねばいけない。

時代の大津波はもうそこまできているのだから。