率直に言って、安倍晋三元首相は、暴漢に暗殺されたわけではなくその点よかったと言い得るのではないだろうか。
そして政治家の最後としては、ある意味、理想的であったとも言える。
というのも、改憲にのぞむ今、彼の死が前文の礎になったともいえるからだ。
閣僚が必死に民主主義と関連づけるのもこの前文に命を吹き込まんがためであろう。
山上氏は今孤独ではない。
かなり多くの人が彼の生い立ちに同情し彼を認めている。
私は少し彼のことが分かるような気になっている。
彼のおじさんが素晴らしい弁護している。
整理された事実がメディアで拡散されたことで山上氏に対する大衆の理解が進んだ。
安倍元首相は今頃あの世から山上氏を許しているかもしれないと思うのは私だけだろうか。
ふと脳裏に石原慎太郎と談笑している安倍さんの姿が脳裏に浮かぶのである(笑。
山上氏のショーシャンクの空にを思い出させるような執念と周到な準備によって葬られたことは、むしろ政治家安倍晋三にとっては救いだったともいえる。
長く人々の記憶にも残るだろう。
実のところ、日本に損害はないのである。
さて、安倍晋三が討たれて統一教会という化け物が顔を出してきた。
いや、この教団と自民党の繋がりについてはかなり前から言われていることではあったが、ロンドンの霧が詩人によって語られたが如く、遂に我々の認識の射程に入ったということであろう。
本当の戦いに進むことが出来るのである。
山上氏の問題提起は、日本の膿を吐き出させるきっかけになりつつある。
これが彼の成果である。
なんとなく感じていた「偽」保守の胎動である。
私はこのブログでも安倍晋三は保守ではないと指摘してきたが、その本丸は安倍晋三本人からではなく統一教会にかかる霊気であったということかもしれない。
この邪教が日本の政界の中枢にいた事実は重い。
しかし正体を晒した以上、対策は可能になったというべきだろう。