最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

河野太郎氏は女系天皇容認という主張はしていない

私はyoutube皇位継承についての彼の発言は聴いている。

河野氏は冒頭で男系で1000年続いているのだから男系が望ましいとはっきり言っていた。

そして、ただしという趣旨で様々な状況を仮定すれば諸々の展開の可能性があるから議論が必要だということだった。

ただしという接続詞としかしという接続詞は使い方が決まっている。

しかしの場合は言いたいことが後にくるが、ただしの場合はあくまでもその前が主張の本則である。

河野氏の議論を整理するならば、彼の主張の本線は男系維持である。

 

ちなみに、そもそも私はこの議論に積極的な人間は信仰心が足りていないと思っている。

神聖な領域において人間的な取り越し苦労はいけない。

今は悠仁さまがいらっしゃる。

私は必ずうまくいくと確信している。

そして、厳然とした男系の事実があるのだから騒ぐなと言いたい。

悠仁さまがいらっしゃる限り民主主義の問題ではないのだ。

 

私は河野氏は数少ないタレントの一人だと思っているけれども、ここまで見ている限りやや耐久力に乏しいかもしれないと感じてる。

もう少し人格にしなやかさが欲しい。

瞬発力はあるが折れやすいようにみえる。

安倍首相辞任の際のインタビューには演技が必要だった。

もしあの対応が素であったとするならばもう少し待った方がいいかもしれない。

 

河野氏は頭がいい。

これは半分褒めていない。

トランプやプーチンといったような清濁併せ呑んだ存在と折り合いをつける力というのは頭のよさとは関係ない。

胆力そのものだ。

胆力こそがしなやかさの源泉である。

総理の器に満ちるまでもう少し時間が必要なのかもしれない。