疲労指数が基準である-30を超え、ハードすぎますと出た(笑。
したがって、今日は走るのを控えることにした。
梅雨に入ると天気予報がとても気になる。
雨マークが続いていると今のうちに走っておくかという気持ちになって判断を誤るのである。
判断を誤るとどうなるのか。
ランナー膝やらシンスプリントやらの故障となる。
これが過去の経験である。
運動についてはやりすぎるならばやや物足りないくらいが丁度いい。
運動はいい。
何がいいか。
それは悪念妄想を払う最上の手段となり得るからだ。
平たいところで言えば、ストレス耐性が向上することは間違いない。
ふと思い出したのだが、三島由紀夫が太宰治に言ったことは正しい。
つまり、太宰治の悩みというものは大方運動不足からくるものであるという指摘である。
これは今になってはっきり分かる。
おそらく当時の三島由紀夫より今の私の方が理解している。
ならばどういう方向を目指すか。
たとえば哲学者カントなどは規則正しい生活を送り毎日散歩したそうだけれども、カントはかなり信用してよい。
生活が乱れている思想家だの文学者だのはクズだと断定しても大方間違いではないだろう。
悪念妄想を払うこと。
すなわち、三毒から離れること、これが幸せである。
理不尽に囲まれてもなお、己の選択に従って生きることに繋がるからだ。
その生の尊いことはまさにプライスレスである。
その尊さに立つと大自然の甘美さにはうっとりするほどだ。
ちなみに、最近はサプリメントの代わりに、アーモンドと煮干しを食べている。
これがとてもよい感じである。