最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

基本に徹してリスクをとる

自分の器を少しでも拡げる時にリスクがある。

このリスクは怪我や病気だけでなく不合格といったものや人間関係にも及ぶだろう。

しかし、このリスクをとらない限り、自分の器は広がることはない。

言い換えれるならば、己の認識の幅は決して動くことはない。

 

一方で基本に徹する。

基本とは常に具体的な実践である。

これが生における縦横無尽の中心である。

このブログではすでに何度もその実相につき述べている通りである。

この中心があるからこそ己の器を拡げることができる。

そして失敗したときに帰って来ることができる唯一の故郷である。

 

全力を心掛けることが誠意であると私は感じる。

失敗は成功のもとというが、手を抜けばそもそも失敗にはならない。

それはただの敗走である。

基本と失敗の差が智慧になる。

智慧を得たいならば全力を心掛ける以外に道はない。

智慧が組み合わさって来ると成功に近くなるが、これこそが道理であろう。

 

お金を払って手に入るもの、問い合わせひとつに手に入るもの、こういうものにはもう価値はない時代である。

私はこのブログをはじめて以来一貫しているところを振り返る時、よかったという思いしかない。

これからも全力でリスクをとっていきたい。

コツコツと。淡々と。

成功したことは確かにうれしい。

しかし本当に尊いことは、失敗があるから智慧が生じるという事実である。

恐れるものは何もないではないか。