最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

鍛錬と性エネルギー

ウクライナをみていると60歳くらいまでは戦場に赴くことになる。

日本でもおそらく同じ様な基準になるだろう。

島国故に陸路がない。

物資だけでなく人材も不足するに違いない。

戦地は北海道か沖縄である。

 

不要な取り越し苦労はある

大規模な化学兵器の使用や核兵器の使用があれば即死である。

この場合については最初からリスクを検討する必要はない。

 

想定すべきはただ一つ、通常の戦争である。

思うに、やはり最後の最後はマンパワーではないか。

現代戦では素人は役に立たないという説は崩壊した。

素人も戦いに行かねば祖国を守れないのだ。

それが現実のようである。

 

鍛錬は今からはじめていかねば間に合わないだろう。

肉体だけでなく精神的な覚悟も準備が必要であることに変わりはない。

 

日本人は認識しておかねばいけない。

この認識がなければ騙されて負けるのだ。

つまり、日本人のお人好しさ加減は冗談抜きでリスクである。

そして、こちらが譲歩すれば相手も譲歩してくれるだろうという期待である。

これがとんでもなく甘いのだ。

日本人の常識がいかに世界の非常識であるか、これは外国人と仕事をすれば分かる。

彼らは自らの利益の最大化しか考えていない。

しかもそれは質ではなく量である。

そしてそれに対する後ろめたさはないのである。

カラッとしている。

日本人とは考え方が根本的に違うことを思い知る。

 

 

ではそのような外国に合わせるのか。

それはお断りということでよいと私は思う。

 

 

攻撃を受けるようなことがあれば、日本人としての前提を貫いてよい。

しかし、日本として何が欲しいのか何を守るべきなのかということだけははっきりさせておかねばいけない。

これがなければ戦うことは不可能だからだ。

家族を守るためという程度では全く足りない。

私は日本社会を守るためであると考えている。

もっと具体的に言えば、日本人としてやりやすいビジネスをしたいならばこの日本社会を守らなければいけない。

この1億の商圏は我々の生活そのものであり宝である。

経済は本当に大切である。

 

貫けばそこは地獄になるだろうが、その地獄を経なければ先はない。

見渡せば、目先の利益しか考えずに大国に利用されて泣き叫ぶ小国が増えているが、それは自業自得でもある。

戦わなかったからだ。

 

いざとなれば絶対に100%勝たねばいけない。

時代が荒れたとしても冷静で周到な準備が必要になってくる。

この準備の核心が性エネルギー昇華だと言う者は私がはじめてではないだろうか。

飲んだくれに敗れるはずもないが、整然とした力は暴力をよく討つ。

戦場に立つようなことはない方がいいに決まっている。

しかし、もしそのような状況になった時に準備不足で何もできないという後悔だけは避けねばいけない。

性エネルギー昇華だけが超人的ともいえる集中力をもたらす。

今自分にしかできない鍛錬を静かに重ねていくべきだ。