最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

正論より悪口に救いが宿ることもある

事業者の不手際で水道のパッキンが外れて台所が文字通り水浸しになった。

直感的な理由はおそらくこれだ。

呪詛返しのようなものにあったかもしれない。

 

しかし、結果は悪いようで悪くない。

なぜなら徹底的な水拭きにより床がきれいになったことと水没したかような状態であったコンロが新古品と交換されたからだ。

つまり、状況が美しく一変した。

 

呪詛返しというのは、うちにいる引きこもりに関係する。

最近はすっかり目を合わせなくなった。

相変わらず酒を飲んでいるようで、もう限界が近いのだろう。

私の心境はおそらくウクライナのロシアに対する思いにかなり近いところまできている。

故に、油断はできないところ、それを察して向こうが弾いてきた感がある。

私は言葉には出していないが、どうしても隠せないものがある。

 

しかし、結局、私は何一つ傷ついていない。

反省を促された感はあるが、盤石な守護があるとしか思えない。

そもそも、もしあのパッキンが吹き飛んだ瞬間にあの部屋にいなければ今頃大惨事になっていたわけであるけれども、偶然にも現場に居合わせ数分以内に元栓を閉めることができたのだ。

これ自体幸運である。

 

私はなんとかして心にある怒りの感情から離れたい。

災難の中、父母が私のために業者の悪口を言っていたが、それで少し救われたように思った。

悪口がうれしかったのだ。

その悪口をフォローできるではないか。

隙の無い生き方が最上というわけでないのだ。

 

また明日からがんばっていこうと思う。