地位名誉、財産だけでは人は満足できないということだ。
寂しさでも人間はダメになってしまう。
憎しみについて書いたが、憎しみが解消されたら寂しさに気付くかもしれない。
愛別離苦。
私の場合は、子供を失うこと以上のことはないだろう。
その寂しさは想像を超える。
自殺を私は否定できない。
子供を失ったら自信はない。
たぶん食べられなくなって衰弱死するだろう。
それが自殺とされるならば自殺をしてしまうかもしれない。
煩悩だろうと言われたらそれまでである。
何か歯車が狂ってしまい、愛情不足に陥ってしまって、耐えられずに命を絶つ。
これはよくあることだと思う。
先日自殺した男性俳優は、母親との関係が決定的だったと私は思っている。
彼の善良な性質が状況を許せなかったのだろう。
本来得るべき愛情を絶した状態で何か崇高なことを望んだ可能性がある。
今日も女優が自殺したが、彼女もまた許すことが苦手な性質を感じさせていた。
世の中、愛情不足に陥っている者は多い。
そして、苦しんでいる。
人の話を聞かない親に育てられた子供に多いように感じる。
そういう人はとにかく42歳まで待て。
42歳を過ぎるとチャンスが必ずくるのだ。
昔小林秀雄が自分は42歳を過ぎた人間にしか自分は本音を語らないと言っていたが、一理ある。
それは人間は42歳を過ぎた頃になると人生に向き合い責任を感じるようになるからだろう。
ダメな自分を受け入れられるのが42歳からだ。
(女性はもう少し早いかもしれない。)
静かに瞑想をし、静かに御仏を念じ、静かにそのご慈悲に触れることができるならば、その苦しみは解消することができる。
しかし、苦しさの最中においてそれを想像することは不可能であるから、問題はとにかく先送りしておくことだ。保留すること。
起死回生をはかりたいならば、最初にするべきことは禁酒である。
禁酒は何度もチャレンジして絶対に達成させなければいけない。
そのために1年費やしたとしても無駄ににはならないだろう。
仕事はバイトでもいい。
(履歴書が書けないなら外国人が経営している飲食店がよい。中身なんて見ていない。)
空いた時間は勉強をして力を蓄えていく。
運動は金箔を積み重ねる様に丁寧に継続しよう。
これだけやれば死ぬ気も失せるだけの十分な強度が生活に出てくる。
充実感の本質は生活の強度である。
ちなみに、酒を飲まなければつまらない奴に巻き込まれることは100%ない。
これまでの人間関係が清算されて知人ですら0になる可能性があるかもしれないが、その闇のようにみえる方向が正しい。
新しい仲間が出来るのはしばらく先になる。
恥をかいてきた分量だけなら負けない。
そう言える人生ならば、なんでも挑戦できるはずである。
前向きになってきた時に、それまで先延ばしにしてきたことや保留してきたことに向き合えばいい。
おそらく「なんだそんなことか」ということで終わることもあるはずである。
この世は苦に満ちている。
だからこそ仏道以上に安全な道はない。
全力を出し切る経験だけがその気付きに導いてくれる。
ある意味、お金や立場で誤魔化しが効いてしまう人ほど不幸なのかもしれない。
反面教師にしていけばいい。