最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

霊性を鍛え上げていく

今朝は仏壇の清掃をした。

霊性をより第一にしていかねばいけない時である。

掃除が毎日のことであってもさらに磨きをかけていくことが必要な時代になってきている。

積み上がったならば積み上がった分だけ祈り切っていかねばいけない。

一つ一つの取り組みの確度を上げていきたい。

 

昨日は超限戦に対する構え方について書いたが、つまるところは、己の霊性を浄めることで邪悪と次元を断ち切ることである。

清濁併せ呑むという言葉があるが、これは間違っているだろう。

やはりどこまでいっても聖は聖である。

人間は肉体を持つ以上、本能的な側面はある。

だからこそ常に省み不断の精進が必要になってくる。

死ぬまで修行なのだ。

 

時代が荒れ果てていく中で戦うとは一体どういうことなのか。

私は超限戦に負けないことだと考える。

卑劣な手段に対して心を動かさない強さで挑んでいくことである。

迎合せずによく教えを語り、自らその通りに行動する。

これが不動の境地ではないだろうか。

 

不断の精進があればこそ、紙一重を見抜く力が養われる。

まずは飲酒の習慣は唾棄すべきだろう。

それはただでさえ酔っている魂をさらにダメなものにする最たる習慣である。

己の欠点を自覚するところから始めねばいけないところ心の視力を弱体化させるのがアルコールの作用である。

未熟を自覚するならば酒を飲んではいけない。

力量のある者でも悪覚の夢界の牢獄に閉じ込められることになる。

 

科学万能主義ではダメであることを私も示していきたい。

この視点こそが時代を切り開く要になるように私は感じている。

科学との調和のあり方はひとつの芸術のようなものだ。

この点についてはすでにかなりの人が目覚め様々なアイデアを出し始めている。

頼もしい温かさを感じることが最近多くなってきている。

いずれ善き個性達が自然と以心伝心の如く支え合うようになるだろう。