自分の敵討ちはしなければいけない。
悔しさから逃げ出しては絶対にいけない。
この武漢コロナ禍で世界が崩壊していく過程にあっても自分の敵討ちだけは忘れてはいけないのだ。
辛い時代は誰しもある。
仲間に辛い仕打ちを受けた経験を持つ者もいるかもしれない。
また静かに仲間から離れた経験がある者もいるだろう。
しかし、問題の本質は結局のところ誰のせいでもなく自分自身にしかない。
甘かったということだ。
自分の成長における決定的なタイミングを逃したために深く傷ついたのである。
甘さに緩んだ原因を何であったか。
それが正真正銘の己の敵である。
それを追求し切り捨てるまで死んではいけない。
我武者羅になって目的を達するまで辛苦の底にあり続けなければいけない。
努力が出来ていないことは最も恐れるべきことだ。
今日一日をどれだけ生かせたか。
そこにもっと厳しくなっていかねばいけない。
あの頃の苦しさを絶対に忘れてはいけないのだ。
言葉が一言も出なくなるような失意のどん底の時代を。
心が自分のことだけで満たされてしまった孤独な時代を。
挑発に対して何をもって立ち向かうのか。
そこをはっきりさせることが踏み込みを強くする。
無念の亡霊達に出来る供養は、己の全身全霊を出し切ることだけである。
自分自身には嘘はつけない。
だからこそやり切っていくことが昇華なのだ。
他者のきつい言葉や冷たい態度も仏の激励だと思って摂受していく。
全身全霊であるとは御仏中心に生きるということである。
一瞬の油断が甘さに繋がる。
その甘さを放置することの恐ろしさを知る者であるならば、常に三昧の境地を目指し悪いことはしていはいけない。
悪習悪癖と完全に決別することが己の敵を討つということである。
憎しみを解く唯一の道である。