最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

感謝という言葉の使いどころ

夜中にトイレに起きて薄暗いところを立ち上がる時、ふと死ぬ時を想う。

情けない死に方というのはたぶんある。

飲み過ぎ食べ過ぎ、そして過淫あたりだろうか。

喋り過ぎたあともそうかもしれない。

だらしないことを引きずりながらあの世に旅立つことになるとしたら。

 

死はいつ来るか分からない。

お釈迦様はよく「目覚めておれ」とおっしゃっていたようである。

文字通り素直に解して自省してみると、確かに夢の中で奔放なことをしていることはよくある(笑。

だから必要以上に睡眠をとることは隙になるということかもしれない。

ともかく、すべての局面で油断は出来る限りしてはいけない。

私はそう解釈しておきたい。

 

社会が貧しくなりいろいろ角が立ちやすくなってきたと感じる。

余裕がなくなってきた。

インスタ映えする感謝の表現はもうそろそろこの世から消えていくだろう。

残るは歴戦錬磨の感謝のみだ。

死と隣り合わせてきた感謝だけが通じる祈りである。

 

誰もが愚か者と戦って消耗している暇はもうない。

一刻一刻を全うすることだけに集中していって辛うじて正気を維持できるほどの時代になっていくはずだからだ。

苦しいのは普通だ。

戦士でなくてはいけない。

 

もはや法を言葉では語れない時代だろう。

胡散臭い者が増えすぎてしまった。

ではどうなるか。

これからは実直さだけが宝になる。

 

そして、その実直さという宝に感謝していく。

結局そこだけが本当に温かいのだ。

それこそが死ぬときに本当に必要なものである。

感謝という言葉をあてていくに相応しい。