最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

今こそ丁寧に生きる時

朝起きる前に、四肢に気持ちを送る。

動いてくれることに感謝だ。

肉体は大切である。

 

武漢コロナの変異株もワクチンを乗り越える力を持ちつつあるようだ。

感染した時が最後だと思おう。

そう思っていた方がよい。

 

地震破局噴火といった大災害も迫っていると聞く。

そういう事態が発生した時もその時が最後だと思おう。

そう思っていた方がよい。

 

たとえば、車で走っている時、車道に出ようとする車があるようなら減速して前を譲っていく。

いま自分に出来る事だけに集中したい。

どれだけ小さなことであろうとも。

世界がどうなろうとも。

 

あれもこれも準備をしたくなる。

しかし、想定をした分だけ迷いも生じる。

その迷いが世界の人々を圧殺しつつある。

迷いこそが魂を消耗させていくもとなのだ。

戦争の因である。

 

何から始めたらよいか。

己の肉体に感謝を伝え切ることからはじめるべきだ。

そして、心にもありがとうと。

足元の中心から集中出来るところまで広げていく。

己の器に応じて丁寧に生きる。

 

死は思っていたより間近ということかもしれない。

今を雑に生きれば必ず恐れ戦くことになる。

鬼になるか人としていられるか。

時代がこの岐路にあるという自覚を持つことが正気を維持するためには必須となる。