最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

貧困の清貧の差は紙一重だ

もともと日本は西洋の基準からすれば貧しかった。

しかし、日本人はその貧しさそのものは不名誉とすることはなかった。

そこが肝心なのである。

 

経済ニュースに一喜一憂してはいけない。

ここは心を固く閉ざすべき局面となる。

邪悪なスピリチュアル系はこれを出来なくさせるから気をつけて欲しい。

時には閉ざすことが大切である。

そろそろ5ちゃんねるやヤフー掲示板のようなものから離れていくべきときかもしれない。

 

やれば分かるが不要なものを欲しがることをやめればよいだけである。

必要な物もさらに観察する。

これは窮屈にしていくというイメージではなくむしろアウトプットの先を明確化することである。

何をしたいのかという話である。

 

自らの信念と生き方がなく、ただ嫉妬のようなものがあるだけならば貧困化していく。

マウントをとられるのは嫉妬を見透かされているからである。

要するに同類だからということだ。

 

額に番号をつけてでも勝ちに行こうとする者が今後多数出現してくる。

そういう者に絡まれないようにするためには全く別の生き方をして次元から隔てることである。

これはできる。

私はもう10年酒を飲まないが、もう誰も私をたぶらかそうする者はいなくなった。

ここまで続くとそれが自明となっていく。

7年近所を走り続けているともう知らぬ者はいないし信用の担保のような状況すら生まれているように感じている。

何でもよい。

ひとつのことを静かに誠実に続けることだ。

 

財が乏しいことが是ということではない。

しかし、その状況を転じていけば活路は見出せるのである。

いやその活路こそが最大のものかもしれない。

一方で財が乏しいのに放逸なことをしているならば、ただ侮られていくだけであろう。

 

紙一重の差に気を配れ。

どんな小さな約束もしっかり守っていくことだ。

それが名誉を守るというである。

日本人が最も得意するとする生き方である。