最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

個の時代

努力を重ねるとういうことは必ず見直されるときがくる。

なぜそれが大切なのかということは、それは溺れたときの一呼吸となり得るからだ。

人生は息切れの連続である。

呼吸が続かずに絶命する者もいる。

その一呼吸になってくれるものがつまるところ日々の地道な積み重ねなのだ。

地道な積み重ね。

それは自分自身に対する信頼である。

他者からの信頼とかいうものではない。

 

個の時代が来ている。

武漢コロナによってこれまで当たり前とされてきたことが完全に見直されることになった。嘘は遂にばれた。

他との繋がりの必要性はこれまで以上に増していく時代ではあるが、繋がり方は全く新しくなっていく。

 

人はその人の言葉ではなく行動をみていくようになると私は感じている。

権威は死んだといっても過言ではない。

その人らしさは結局行動にしか出ない。

嘘つきはこれまで以上に排除されるだろう。

 

様々な意見が飛び交うことにはもう多くの人が慣れている。

多様性という過酷さの中において、今人が一番求めているものは信頼ではないだろうか。

その置き所を探し求めているようにみえる。

信頼は安らぎでもある。

そういう意味では人の認識はより本質に向けてより進化を続けているのかもしれない。

権威では安らぎは得られなかった。

現代人はこれを知っただろう。

 

習慣の力によって己自身に対する信頼を高めていくことが幸福の道であると私は考えるようになってきている。

命を最も活かす方向で現実的な努力を重ねていくのだ。

そして、同様の努力を継続する者同士で繋がりを深めていくことがこれからの時代のあり方になって来るだろう。

 

人の繋がりを利用しようとする事業は見事に解体されていく。

中抜きのような存在は不要とされる。

個の時代においては変わっていくべきは既存の団体組織ということになってくるだろう。

 

いずれにせよ、これからは関わりたくない者とは関わる必要がなくなってくる。

努力をしない者は己と和解できずに窒息していくだろう。

自分自身ですら権威ではもはや誤魔化せないのだ。