太陽の光と草木の香る風、そして水。
これらを通してジョギングから実に学べる。
ジョギングが最高である理由である。
凄まじいまでの太陽の浄化の力である。
真夏の日差しは圧倒的である。
ここに理屈はない。
心はただ呼吸に集中し始めていく。
肉体を慈しむのは水である。
水が不可欠であることも理屈ではない。
太陽と肉体を繋ぐもの、それが水である。
草木の香る風は、これは遠い過去のの記憶を思い起こさせるが如くである。
今も昔も変わらぬものであったに違いない。
そして、この先の希望であろう。
己の精神をどこか深く安定させていくものがある。
1時間も走れば十分だろう。
それらがジョギングを通して自然と性エネルギーを昇華させていく。
いい汗をかいた後に徐々に神経が整っていくことを自覚できるはずである。
そして、欠かさず続ける読経修行の因縁勢力が、整った神経をさらに後押しする。
ここが私の奥義であり、結果大差となっていくのだ。
太陽や水、そして自然といったものが信仰の場において重視されたり例えられたりすることの理由は、ジョギングを通して体感できるのではないだろうか。
人の足裏には土踏まずがある。
土踏まずがなければ走ることは出来ない。
走るという行為にある一種の緊張感は、人類進化の歴史そのものであっただろうと私は考えている。
遺伝的に蓄積されてきた叡智が、躍動する肉体と大気とが一体となる時に解放されるのではないだろうか。
特に山岳修行者などをみていると信仰者はその瞬間を直感しているように思うのだ。
ジョギングは命を活性化させるはずである。
このブログの読者ならばさらに意識的に取り組むことができるはずである。
健康であること。
これ以上の宝はまずないだろう。