最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

時代が変えろと言っている

収入が減る中で物価が上がっている。

ガソリン代は相当なものになっている。

しかし、霊性の観点からするとこれは大きなチャンスである。

こういう強制的な契機というのは意識の変革にとってはむしろ得難い機会である。

 

貧しいこと自体は不名誉なことではない。

ここはしっかり胸に刻み込む。

気高い神々ほど貧しい者を装ってくると想定しよう。

貧者をみて侮るなということだ。

少ない所有のために引っ込むなということだ。

ここが狂うとすべてがダメになる。

正しい心構えができること。

尊さは絶対にそこにしか宿らない。

 

霊性の観点から生きるならば、一つ一つを精選していく。

たとえば、無駄なものを買っていないか。

必要な物をきちんと買っているか。

しっかり精査していくと未来の経済のあり様がみえてくるのではないだろうか。

 

私は結局朝ごはんは白米とみそ汁がメインになった。

朝の一杯のみそ汁は完璧だ。

私がメーカーの販売担当ならパッケージをアスリート向けにするだろう(笑。

これだけで絶対に売れるはずである(笑。

ともあれ、ひとつひとつの選択を己の目標の合致させていくために工夫していくことで必ず活路はみえてくる。

 

物事は気付きを得た者が救われていくようにどうしても動いていく。

それはなぜか。

気付きを得ない者はまさにその逆の方向に進むからである。

ラーメンでいうならば太麺大盛に加えてスープにせ油を大量にのせれば行列ができるのと同じである。

隣に普通の醤油ラーメンの店があるならばそこに入る客は悠々と食事を満喫できるに違いない。

 

物価の上昇による不都合から気付きを得たならば行動を正しく持ち直すべきだ。

そうすれば相対的に上向く。

多くの人が脳の快楽物質から脱することはできないのだ。

易きに流れてしまう。

金がないからといってストロングゼロのようなものに手を出し始めたら終わりだと思っていいだろう。

何度でも言うが、酒は真っ先にやめておかねばいけない。

 

時代がそのまま説法のように感じることが増えてきている。

それにそのまま乗っていくべきである。