最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

自分だけになると死にたくなる

生きるべき時には生き、死ぬべき時に死ぬ。

これだ。

生きるべき時に自ら無茶なことをして命を危険に晒すことは道理に反しているのだ。

何か特別なことをしたがるときが要注意である。

さみしいとそうなる。

 

成し遂げたいことを持つべきである。

最終的には命をかけていくべきものを。

今は生きるべき時だといえる何かを持たねばいけない。

 

向精神薬などでごまかしてはいけない。

すぐ捨ててしまえ。

全く効かないしむしろ心身にとってはマイナスでしかない。

離脱症状でしばらく苦しいこともあるかもしれないが、すべて脳の反応であるから必ずその苦しみは消える。

医者の中で最もその存在に懐疑の目を向けるべきは精神科医だろう。

治したいならばただ毎日運動すればいい。

本当はシンプルなことなのである。

医療費はプロテイン購入費にでもあてろ。

 

成し遂げたいことがないということは絶対にない。

ごくごく小さい事からでよいのである。

自己評価は適正にせねばいけない。

愚痴をこぼす時はむしろそれが高すぎるのだ。

自信など不要である。

 

自分を信頼できるようにするためには小さな約束を一つ一つ守っていく以外にない。

自分と和解するための努力である。

 

もし他と比較ができないほど苦しい環境下にあるならば、そこにこそ使命があるということである。

この世に生を受けた意味はそこを乗り切ることにあるのだ。

 

その頑張りに多くの人が励まされていく。

これが利他行だ。

次第に今の自分を受け入れることができるようになっていく。

 

人並みなどという妄想にとらわれて孤独に陥るように自分を甘やかすから苦しいのだ。

他の幸せに嫉妬の結を起こさないことは立派な修行である。

人の幸せをみて歓喜の心を生じさせていくことは不動国に生じるための道であると仏典にもある。

 

自分の事だけで心がいっぱいになるから死にたくなるのである。

自分の事ばかり。

それがいけないのだ。

他の幸福に繋がるための一歩を踏み出すことでその呪縛を断ち切ることできる。

これが次元上昇である。