最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

どのような境遇でも実直な精進をする覚悟を決める

銭形平次になれるかどうかだろう。

将軍吉宗や遠山の金さんなどは名も立場もあり立派なことをやるための十分な基盤がある。

しかし、銭形平次は、現代で言えば、派遣バイトのリーダーみたいなものである。

武器は銭と十手くらいなもので正規の侍の上司に頭を下げながらの仕事である。

彼の様にヘイ!と理不尽に頭を下げられるだろうか。

 

しかし、これからの時代はその純粋さが求めれられる。

失業してバイト生活のような立場になっても絶対に志を忘れてはいけない。

他から逃げ出すような生き方であってはいけない。

目的を完遂していかねばいけないからだ。

 

私は苦しい立場の中でも実直に頑張っている人をみると心底感動する。

護法の神々がみせてくださっているのだと感謝する。

そして自分も言い訳をせずにやっていこうと思うのだ。

言葉を交わすわけではないような人からひっそりと魂の感化を受ける。

 

功名心からの努力ではなく天道精神からの努力である。

この努力さえしていれば落ちぶれるということは絶対にないのである。

その生き方は必ず誰かに感化しより輝きを増して生き続ける。

もし自分のうちの僅かでも他より劣ると感じるものがあるならば猛省しなければいけない。

誠がまだまだ足りないのだ。

 

中国には様々な徳目があるが、誠という徳目はないとのことである。

嘘をつくことに対してさほど後ろめたさを持たないのはそういう文化の違いがあることは知っておいてよい。

しかし、誠の精神以上に大切なものはないのである。

それは教えをやれば必ず理解できる。

教えをやるということは神仏の道に立つということである。

日本人は誠の精神を育む文化がある。

だからこそ功名心より大切なことをイメージできるのだ。

それが例えるならば銭形平次である。