先日、駐車場にて当て逃げの容疑をかけられて警察と口論になった。
久々のマジ切れである(笑。子供が泣いた(笑。
詳細は書けないが、その場で当たっていないことが確認できたのにも関わらず仮定の事実を付け加えて当てたことにされたからだ。
結論からいうと、その後の保険会社による科学的な調査で私の嫌疑は晴らされた。
警察には不用意な返答は絶対にしない方がいい。
自白のようにとられる発言はダメだ。
なぜならば自白こそがやはり証拠の王であるからだ。
やったかもしれないという趣旨の発言があって、しかもそれを裏付けそうな物証があるならば、(納得できない身勝手な)経験則のようなもので認定されてしまう。
当事者が複数いるときには各々注意が必要である。
記憶が曖昧である等分からないならば黙っている。
これに尽きるだろう。
この一件を通して言葉というものの脆さを痛感したのである。
水の掛け合いのような状況を言葉だけでは打破することはできない。
頼るべきはどれだけか細くとも己の実践のみである。
実践こそが安心できる我が家である。
あの駐車場で警察と激しい言い合いになり、かなり功徳を消失してしまったような気がした。
かなり疲れを感じたのである。
己の弱さや攻撃性のようなものも確認することになった。
しかし、夜の読経修行で辛うじて我が家に辿り着いたような気持ちになったことは救いであった。
また、やけになって酒を飲むということもしていない。
これも持戒による大きな守りといってよいだろう。
退歩であったかもしれないが、退歩だけで済んだともいえる。
ありがたいなと思った次第である。