久しぶりに風呂場で水をかぶる。
水行というわけではない。
水の冷たさを体で思い出すためだ。
青年時代はまだ終わっていないと感じた(笑。
30代前半くらいまでは冬の水にさらに氷を溶かして頭からかぶっていたが、智慧はともかく真剣であった。
その純真さはやはり大切だ。
よく心をおさめてそのおさめたところをもって教えを示していくことを自分の行き方にしていかねばいけない。
ブッダ感興の言葉の22章に学問という章があることに今日気付く。
天の助けである。閃くように歓びが湧いた。
このブログでも学問と教えの関係にも何度も触れてきたが、もう迷いはない。
「聖者の説きたもうた真理を喜んでいる人々は、そのとき、かれらの説くことを言葉でも実行する。かれらは忍耐と柔和と瞑想とのうちに安住し、学問と知能との真髄にも達したのである。」
徳行に怠ることなければ知識も生きてくるということである。
ここはお釈迦様が示して下さっていることである。
つつしみをもって暮らしていくことの大切さを再確認できた。
それが生かす道である。
お釈迦様は怠ることをとにかく警戒されている。
つとめ励むことこれが生の道であると。
やはり密教の三密、すなわち身口意の三業浄化はお釈迦様の教えに通底している。
この激励に応えていきたい。