冬とは思えない陽気な天気であった。
今日は朝からカーテンを洗った。
カーテンは邪気をよく吸うので半年に一度くらいは洗った方がいい。
他には窓ガラスや床を拭いたりと普段できない掃除を念入りに行った。
どんな宗教上の行よりも掃除の方が威力があるように感じる。
無心に綺麗にすることで修行になっている。
たとえるならば、普段から自転車で長距離通勤等している人の太ももの筋肉がスポーツ競技に必ず活かされるのと同じである。
教えがあろうとなかろうとやった方がよいのが掃除だ。
密教では身口意が一体になった時に功徳が生じるとする。
身をもってというところに密印があるのだが、私は掃除をしている時にも教えが生きてくるのを常々感じているところである。
清々しさは他によい影響を与えるものである。
いろいろうまくいかない時はある。
そういう時はあえて動かずにおくことも一手である。
小さなことでイライラするならばストップである。
完全にエネルギー不足であるからだ。
充電するためにも掃除をして心身を浄めなければいけない。
霊的な疲労というものがある。
これが厄介で旅行や美食といった気分転換では回復しない。
サウナや運動でも回復しない。
経験上、掃除だけである。
神仏の通り道を作るような気持ちで身の回りの掃除に徹すると次第に休み易くなってくる。
善い心が生じ善い言葉に癒されて細やかな思いやりの気持ちが戻って来る。
欲望の制御もうまくできるようになる。