最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

感謝を阻むものを突き止めること

成長するタイミングには冷汗をかくようなことが多い。

そして、そのような時に己の足元がみえいろいろ感謝せねばいけないと思い直す。

この時に心に映る景色こそが本当であろう。

感謝は心の視力を強力に高めてくれるからだ。

 

時間が有限であるのは肉体があるからだ。

身近な人には特に感謝だ。

そのためには自分の弱さを受け入れることが絶対に必要になる。

傷つくものなのだ。

強さとは御仏に帰依することのみである。

その他はすべて脆弱と形容すべきことばかりであるのだから。

胸は痛くてもいい。

常に生かされているというような感覚を持とう。

許していくことの根幹である。

それが出来る者が本当の勇者である。

 

人から非難めいたことを言われる。

それに理由がないときは腹が立つことが多いだろう。

しかし、そういう時には、因縁というものを思い返してその人のために祈ることだ。

その人がそういう状況にあるのは因縁に支配されているからなのだ。

腹を立てるほどのことではないなと知ることである。

こちらに過失があろうとなかろうと、すみませんと一言。

それで済ませるくらいの器が欲しい。

 

何をやるにしても他の役に立つように意識していくことだ。

これが無我の実践であると思う。

そして、御仏のご誓願に則ることでもあると思う。

一方で、他の為だと思うところから妄念も湧いてくる。

その妄念の本体は見返りを求める心である。

腹が立つ心と同質であるから、便所掃除だと思って徹底して取り組んでいこう。

そこが修行になってくる。忍辱行である。

 

性エネルギー昇華の実践を行えば時間が延長できるはずである。

寝起きがよくなったり睡眠時間が少し減ったりする体験をしている人も多いのではないだろうか。

酒をやめることができれば十分なのであるが、さらに性エネルギー昇華の実践(すなわち不淫戒)を実践することができたならば、その功徳はかなり大きいだろう。

 

人生の価値は利他行の質と量で決まる。

性エネルギー昇華の実践がそのために行わないならばただの外道の道楽でしかない。

正しい目的を抱いているならば、うまくいく。

緊張が適度に緩みめぐりがよくなり落ち着きと集中力が増し疲れにくくなってくるのだ。