凄くないことに対して凄いと言わないことだ。
この一点を守るだけでも世の中がよくなるはずだ。
かつてある教えの集会でおもしろいことを体験したことがある。
そこには兆円単位の企業規模がある会社のトップも参加していた。
その方はやはり経営には自信がある。
そのためどうしてもその分野に話を寄せていきたくなるのは人情というものだ。
しかし、周囲には教えに関心がある人しかいない。
その場がどういう雰囲気になったかは想像できるだろう。
お釈迦様も弟子たちに対して出家前の世俗の自慢話は禁じられたと聞く。
その趣旨は今こそ活かすべきだと私は思う。
新車であったり新しいスマートフォンであったり服装であったり学歴であったり勤務先であったり何でもよいのであるが、本当の幸福に直結しないことについてあえて言及しないことだ。
やりすぎかと思えるかもしれないけれども、これからは徹底すべきだ。
逆に、教えに即した行動や思いに接したした時には躊躇なく凄いね!と言葉をかけていくべきだ。
これは妄語戒といえるだろう。
この妄語戒に徹することができれば己の中にある邪な欲には負けないはずである。
邪悪な金持ちに臆することもなくなるだろう。
貧すれば鈍するという言葉を使う人がいる。
しかし、それは唯物主義に立つからだ。
我々は「金があるから偉そうなことが言えるのだ」と体験談として語る人に相槌を打たないことから始めよう。
物質的に貧しくなるから鈍するのではない。
邪な信念を抱くから予定された死に様におののき鈍するのである。
正しい心を持っていれば物質的に足りなくなることがあればむしろ援け合うことで精神的な輝きは増すのである。
相手の機根を見抜き正しい言葉と行動をとっていくことは日々の仕事にも浸透させていくべきであろう。
稼ぐことから目をそむける必要はない。
いつも通りでよい。
ただ正しく稼ぐのだ。
師は八百屋は八百屋らしく魚屋は魚屋らしくと言っていた。
生活を教えに即して律し節制を貫けば、必要な利益は出てくる。
その利益こそが浄財であろう。