夕方はエネルギーが不足気味になることが多い。
走るべきかやめとくべきか。
気持ち的に微妙なラインに立たされる時がある。
しかし、体調に問題がある時はすぐに引き上げればいいだけのことなので、やはり少しやってみるというのがいい。
やる気というのはやり始めてから生じるものである。
霊性優位でありたい。
そこが学びの場だ。
表層的な思いに反してなぜかうまくいくこともある。
この体験が尊い。
ちなみに、足の裏の土踏まずは人類発展の原動力となったひとつの徴表とされる。
仲間と走って獲物を追い詰めたというように走るということは人間にとっては生活の根幹にかかわる行為であったということだ。
脳に効くわけである。
ウォーキングも悪くはないけれども、土踏まずがあり膝等の関節に問題がないようならば走った方がいいと私は思っている。
要するに、ジョギングはとてもおすすめである。
さて、より根本的なところを実践をもって不動にしていくことが大事になってくる。
単なる精神論とは一線を画さねばいけない。
実践がそのまま自分の言葉になっていくようにするのだ。
教えも精進を通して自分の言葉にしていくことが予定されているように感じる。
最後の最後の拠り所は自分自身ではないだろうか。
経済力という担保さえあれば口先だけでも通用する時代は終わりつつあり、行動自体から言葉を発する時代が来つつある。
コミュニケーショのンあり方は変わっていくだろう。
そこから生活様式が変わっていくと私は見通している。
やはり基本は物事に対して真摯であること。
これ自体に価値がある。
そして本当の個性はそこからのみ生じるものだ。
自分の性格に悩む必要はもうないだろう。
キャラの立つ者に臆することもない。
弱気になったとしても前向きでいる。
感情にとらわれずにまずやってみる。
それが真摯であるということだ。
先を明るくみるとは気持ちで行うことではないということでもある。