最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

これからの時代は定をもって乗り越える

本格的に寒くなってきた。

東京の感染者が少し増え始めているようにみえる。

全国的にも増加傾向に転じると私は予測する。

うちの子供の学校のクラスではまだ風邪で休んでいるような子はいないようだが、そろそろと思う。

覚悟はしているが、武漢コロナなのかただの風邪なのか区別がつかないことによるストレスは相当なものになると思う。

ただの風邪と言い張る人達がいるが、果たしてどうなることか。

 

 

今は定が大切だと感じる。

時代が読めなくなればなるほど定が大事になってくるのではないだろうか。

取り越し苦労で消耗しないためには定が必要である。

消耗もすぎれば疑心が生じてしまう。

仏典や聖典に親しむ習慣をもっともっと持つべきだろう。

聴法の因縁勢力を強めていくのである。

 

布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧である。

苦しくなってきたらこの六波羅蜜の言葉を一つ一つ思い浮かべるようにしている。

私には六波羅蜜のこの6個の言葉の順番にはとても意味があるように思う。

足りてないことの方が多いわけだが、何か一つ目標を持つと気持ちも切り替わってくる。

 

これからだ。

思うようにいかないことが増大していくだろう。

人心が荒れてくるのだ。

時代に霊的な晴れ間を全く感じない人は多くいると思うが私もその一人である。

欲楽を満たし難い状況が慢性的に続いていく。

しかし、その中で祈りをもって幸福を感じていくことが常楽我浄の教えの道である。

貧すれば鈍するではないのである。

定ある祈りがないから鈍するのだ。