最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

よく祈ることが攻防一体の戦陣となるのだろう

読経をしていると次は三昧の行であると感じる。

まだまだ祈りが心に通底していない。

不飲酒戒にしても朝夕の読経にしても定から先にいかねばいけない。

三昧に徹して心に寂静を得ていかねばいけない。

 

身内が難しいのだ(笑。

本当に腹が立つことがある(笑。

寝技からの関節技で完全にはまってしまうことがある(笑。

そこをしっかり見つめていきたい。

おそらくそこを乗り越えられた時には大きな仕事も出来るようになるだろう。

あと一歩。

正義に立ったとしても正義であるがゆえの誹謗中傷というものはある。

そこを乗り越えていけるか否かは三昧に徹して心に寂静がなければいけない。

智慧の前提である。

 

心をひとつひとつ御していく。

ひとつひとつ丁寧にということだろう。

思い描いたすべてというわけにはいかない。

目の前の現実以上の理想を求めないと師が言っていたが、今それが少し分かる気がする。

現実を直視し祈りから立ち戻った時に感謝になるように生きるのだ。

どれだけ苦しい現実があったとしても深い祈りがあればその時に相応しい智慧が生じる。

それが信仰生活というものだろう。

祈りの深さとは何だろうか。

それはどうしても三昧にあるように感じている。

やはりいつでも祈りがなければいけない。