最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

仏法以外に頼ってはいけない

大麻でも同じだ。

何か物質に頼るということ自体がやはりよくないのである。

終末医療に用いる程度であろうか。

依存性の薬理作用のある物は離脱に苦労するから最初から手を出さない方がいい。

 

ただ依存は無意識にも生じていることがある。

以前書いたと記憶しているが、3.11の時、スーパーから納豆が消えた。

私は当時毎日納豆を食べる習慣があったので、思わぬところでストレスを感じてしまったことがある。

食べたいと思った時にそれがないというだけのことであるが、その小さな積み重ねも続くとわりと重みが出てくることを身をもって体験し、とても反省した。

 

いろいろ備えはしておくべきだが、よくて1か月だ。

その先まで事態が動かないとしたら命運が尽きたということだろう。

ないならないで潔くできるように普段から生活物資には正しく接しておくべきである。

 

自然な流れの中で今努力していることはそのまま継続するべきである。

しかし、それがこの先役に立つかどうかはもう分からない。

武漢コロナ、台風、地震、トドメの不景気である。

そういう先行きが見えない中で精いっぱいやっていくことはとても修行になる。

難しいからだ。

誰でもできることではないかもしれない。

 

仏典にははっきりとこの世に久しく住することを乞うてはならぬとある。

この一文は重い。

自暴自棄になるのは論外である。

仏法のみを拠り所にし柔軟に円やかに生きるべきであろう。

ダメだと分かった途端に手を抜いてしまうと御仏から離れてしまう。

一呼吸一呼吸を祈りにしていくようにしたい。

周囲の状況にとらわれて一喜一憂しない強さが大切だ。

 

寂静の中に定空捨において三昧で過ごす。

静かに性エネルギー昇華の実践をすること。

今すべきことはこれしかないだろう。