最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

闇を理解する必要は一切ない

闇を知ってはじめて光の有難さが分かることがある。

そういう意味では一度はむしろこっぴどく失敗しなければいけないともいえる。

しかし、この闇というものをよくよく観察するとその原因は知らないことに対する恐れにあるように思えてくる。

 

若い頃からずっと真面目にやってきた人間が急に風俗などに通い出すことがある。

これなども好奇心に敗れた結果といえる。

それが原因で転落し完全に闇色に染まってしまう者もいる。

最悪のパターンだろう。

 

私は闇を理解する必要はないと思う。

たとえば裏の世界一歩手前のギリギリにところの居場所をもったとしても裏の世界の人間からみれば半端者でしかないのだ。

裏の世界に行くつもりはさらさらない。

ならば最初から堂々と光の住民になっていくべきだろう。

光のど真ん中を目指す方が心はむしろ安定するはずである。

 

苦労は買ってでもしろというが、これは間違いだ。

目の前にきた苦労から逃げるなが正しい。

わざわざ買った苦労は苦労ではない。

光の中にいる者があえて闇に身を投げ出すことは間違っている。

 

若いうちから仏典などの聖典に触れる機会があった者は要注意である。

酒や異性で失敗すれば一気に心が錆びつく。

生まれながらにしてすでに学びが多い者は悪いことはしてはいけないのだ。

酒の種類もバーでの飲み方も風俗での遊び方も何も知らないのならば、それはそのままでいいぞ。

知らないことをむしろ誇りに思っていい。

それは霊的にめちゃくちゃカッコいいことであると今になって心の底からそう憧れる。