最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

教えをもって闇と交錯する場所に立てるか

黄金聖闘士12人が冥界において結集し、12人が揃って放つ最初で最後の一矢において嘆きの壁が破れたわけである。

童虎の「我々の星座がどこにあるのか」という問いを受けて黄金聖闘士達は覚醒する。

太陽を中心に動く黄道12星座の聖闘士の聖使命は地獄において太陽の光を放つことにあったのだ。

 

仏道に敷衍すれば、これはまさに菩薩道である。

その道は暗闇に明るく輝く月に例えられることもあるが、実際は炎、太陽の如く人の世を照らし出していく存在が菩薩である。

まさに地上の愛と平和のためにである。

理不尽という暗闇にあっても戒定慧を備えていくことは容易なことではない。

しかし、刻々祈りのままに実践に勤しむ者は存在する。

皆が皆不安や怖れにおののいてるわけではない。

 

教えのある者の特徴はただ一つである。

彼らは絶望しない。

師を通して必ず道を見出す。

それが智慧であると信じている。

この絆の温かさがあるからこそ心の底から燃え立つものがある。

そして、彼らは基本に徹することに決して飽きがない。

正しいことならば愚直なまでに繰り返すことを怠らない。

情で動かず祈りという理をもってその身を修めるが故である。

 

私も初心を少し脱した頃は、またこの話かと思ったものだ。

しかし、浅はかであったのは私の方であった。

大乗仏教の本旨は利他である。

常に救いの眼差しは救われていない者に向けられているのだった。

闇と交錯する最前線に立つのが菩薩である。

ゆえに尊い存在なのだ。