最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

偽りの光に惑わされてはいけない

ただの取り越し苦労は大敵であるといっていい。

あれこれ不安から準備をし出すと際限がなくなっていく。

CMはどれもこれも不足感を刺激するように設計されている。

 

その不足感は人によって意図的に作られたものである。

本当に不足しているかどうか瞑想時に己に問うてみるとよい。

子供は友達が持っている物を欲しがるが、大人もたいして変わらないのではないだろうか。

 

なくて本当に困る物は案外多くはない。

真に必要な物をしっかり把握するためには家事で手を抜かない事だ。

結局、これによって培ったアイデアこそが仕事でも活きてくるはずなのだ。

日本からよいソフトが生まれないと言われるが、団塊世代の男たちの生活ぶりをみていればおよそ生活に役立つものなど作れるはずがない。

家事育児を両立している現代女性の方がよい仕事をするだろう。

女性の時代といって間違いないのは道理に基づくからだ。

男女平等などというただの観念からくるのではない。

 

本当に必要な物を徹底して使いこなしている人間がこれからは強い。

なぜなら、そういう人間こそが危機管理を担当できるからだ。

中国の三峡ダムがいかれてしまった時が人類の時代の節目になる。

その後には物資不足によるインフレで大混乱に陥る可能性がぬぐい切れない。

その時に戦えるのは物事の基礎がしっかり確立している人間だけである。

そういう人間同士がチームを組んで仕事をしていくことになる。

 

物事に精通していれば偽りの光に惑わされることはないだろう。

これこそが仏法の具体的実践でもあるからだ。

無知故につまらないCMに反応してしまうのである。

とるに足らない付加価値に大枚をはたくのである。

私は任天堂枯れた技術の水平思考という言葉が大好きだ。

ここには技術に向き合う際の智慧がある。