ただ教えを語り実践することのみである。
それ以上でも以下でもない。
そこにおいて親切を尽くす。
想像し難い大きな動きの中にある。
そして正邪がきっちり分裂していくのだ。
それは見た目では分からない。
感謝に向かう者と恨みに向かう者に二分されていく。
認識の世界である。
救いが物質的に満たされていくことであると誤解していると邪に流されていく。
はっきり指摘している人は皆無であるといってよいが、救いとは霊的なものである。
霊的な支援が人の認識を助けるのである。
たとえばコップ一杯の水にどれだけ感謝できるだろうか。
形あるものはいずれ滅する。
滅していく中で光を発していくことが仏の道を歩むことである。
人生は苦の連続である。
無限の境遇がある。
人それぞれの境遇がある。
それをただ嘆くのか、それを智慧に変えて輝いていくのか、そこに岐路があるのだ。
仏典に感謝し師に感謝し善知識に感謝する。
そして教えの如く生き他に教えを伝えていく。
これが仏徒の一生である。
社会的な境遇などはとるに足らぬことである。
今この一瞬の祈りにすべてがかかっているという思いで今を生きること。
本当にそれだけである。
最後の最後まで感謝を忘れぬ生き方を貫く。
これが正の世界に赴くための条件である。