これからは間違いなく総論の時代である。
各論と総論の時代は繰り返す。
各論としての知識自体はITの活用により誰でもアクセスできるようになった。
しかし、知識の運用については玉石混交、目に余る混乱がある。
理由は政治的な環境の激変、異常気象、武漢ウィルス等々様々あるが、根本的なところにあるのは人々の価値観の変容と多様化だろう。
人類の自信の喪失をそれに加えてもよいかもしれない。
この総論を切り開くためには命をかけていく必要がある。
しかし、悲観する必要は全くない。
なぜなら仏法を基礎とすることがこれからの時代のスタンダードになっていくからである。
我々にとっては既知のことである。
しかし、総論とはそのように生きるということである。
したがって、特有の厳しさがある。
繰り返すが、せめて在家の5つの戒律はしっかり守らねばいけない。
これはイロハのイである。
教えは言葉の量ではない。
行動の質そのものが問われるのである。
そして、性エネルギー昇華の実践をする我々は正しい総論を踏まえて次の時代の各論へ向けて取り組んでいくべきだ。
最先端に立つ。
知識の抜本的な再編である。
これは社会科学系においては要らぬ視点を切り捨てるという作業が中心になるだろう。
合理的人間観から帰結されるような結論は間違いであるからだ。
富が正しい者のもとへ集うように。
覚悟を定めてそのように生きる時にはその仕事の対価は堂々と請求してよい。
これが出来ないのは根に甘えと貪りという私心があるからである。
酒も飲まないし身口意を穢すための消費はしないという実践を常に積んでいるならば堂々と請求できるはずなのである。
そして得た財を新しい時代の構築のために使っていくのだ。