子供を持ちあげすぎてはいけない。
将棋の出来る一人の子供とみるべきだ。
世間からの注目で心が病みやすくなるからだ。
調子のよい時がずっと続くわけではない。
大人はそれを一番よく分かっているのだ。
人生いろいろある。
たとえば恋愛をすればダメになる男がたくさんいるように将棋が巧いからといって例外であるわけではない。
メディアは才能を愛でているわけではなくただ数字を追っているだけだ。
心の傷になるようなことでもおもしろければ特集を組もうとするだろう。
子供に関してはそれを絶対に許してはいけないというのが私の考えである。
今の時代、30歳でも子供かもしれない。
しかし二十歳時代とは違う若さではある。
仕事もあり人気もある俳優が自殺したけれども、彼はいい奴だったのではないだろうか。
顔つき目元をみれば分かる。
何か壁にぶつかって実直に対応しようとした結果であるように思えてならない。
適当な人間ならば迂回して放っておくような問題から逃げなかった結果が自殺だったのではないだろうか。
若い子の理想というのは個性的で強烈で透き通っていることが多い。
退歩を重ねる大人がうっとなるほどに。
いずれにせよ、子供が自殺するのは大人が大きな展望をもって正しく生きていないからである。
彼の死は他人事ではない。
我々の責任である。
武漢コロナ時代、子供は我々大人をじっと見ている。
生き延びるということよりも大切なことはある。
この個体としての肉体はそれほど長くは持たないものだ。
だからこそ子供に託すのである。
本当の命はむしろその託す中にある。
確かに食料の備蓄はいま大切な時期にさしかかりつつある。
しかし、食べる事ばかり考えていては元も子もないのである。
なんのために生まれてきたのか、今一度思い返しておくべきだろう。