酒を飲んでいるスピリチュアル系は完全に嘘だと思っている。
最初のアセンションは断酒だからである。
断酒をしていない人間には性エネルギー昇華の実践はできない。
仏法を語る資格がない。
周りに嫌な奴がいる場合は特に断酒の効用が光る。
酒の勢いに押されて不快な思いをすることはなくなる。
アルコールは飲みませんという態度決定は怠惰な人間には絶対に干渉できない領域なのでこれは一つの城を持つことに匹敵するだろう。
この体験を通して戒律の意味をしると断酒が不飲酒戒となり仏法が伊達ではないことが分かってくるのである。
そして進んで読経修行ができるようになる。
武漢コロナ時代にはどうにもならないような連中がはびこる。
そういう時代にあって平時と同じ様な気持ちで飲んでいるようではいつか災難に巻き込まれるだろう。
たとえば、この時期に遊びで旅行を企画する連中は自己中心的なダメな連中である。
酒を飲む習慣があるとこういう連中の巻き添えに遭うのだ。
ちょっとコンビニに酒を買い足しに行ったりするようなタイミングで見ず知らずのバカにやられるのである。
断酒をして生活を正せば不要不急の外出など全くしなくなる。
その生活が地味で活力のないものに感じるとしたら瞑想が足りていない証拠であろう。
一滴の水、一粒のお米に対して深い感謝を持てるようになれば、慎ましい中に明るい心境になってくる。
信心信仰の妙味の中にあれば智慧によって様々なことを乗り越えていけるのである。