最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

清く明るく美しく

魂を明るくする。

率直に言えば、これが目標ではないか。

善悪に拘泥して心が沈んでいてはそのようになってしまう。

無論、善を選ばねばいけないが、選んだならば腹を決めて明るく努めるべきだろう。

 

明るく努めることがただの辛抱ではいけない。

どうすれば明るくいられるのだろうか。

魂の傷を癒していけるのだろうか。

 

善と思ったことを思ったように積んでいくだけではおそらくダメだ。

心から暗いものを抜いていくような祈りの中で眼前の課題を直視していく過程を踏まえていくことがどうしても必要である。

明るくなるためには逃げてはいけないのだ。

そして逃げない覚悟を通して神仏から光を当てて頂くのである。

 

とはいえ、逃げないといっても、ひとつずつ淡々と最善を尽くすだけである。

 

心の傷は心の傷として認めることが大切である。

こういう心得があってはじめて無理をしないという言葉の真意がはっきり見えてくる。

瞑想として今を感じることもできるようになってくる。

 

実際に今明るくあるだろうか。

能書きはどうでもよいのかもしれない。

魂が明るく朗らかであることが正解なのだ。