最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

正義にとらわれて自滅してはいけない

自分以外のことは反面教師とする。

荒れた時代はこれでいい。

手本とすべき人はもちろんいるが、逆に引き込まれてしまうと依存になる。

その依存は害が生じるまでは誰も指摘してくれないし害が生じてからでは難儀する。

 

皆仏性を持っているが、100%いけている人間はいない。

苦手な人をみていると欠点ばかりが目に付くようになるが、もともとが他者に期待し過ぎていないか振り返るべきだろう。

期待を裏返せば自分を軽んじているのである。

魂に傷があるならばまず癒さねばいけない。

 

程度問題とされることが苦手な人はいるかもしれない。

しかし丁度良いところというものはある。

楽器の絃のようなものだ。

張り過ぎても緩み過ぎてもいい音は出ない。

自他の問題とは調和の問題である。

 

他の欠点がみえてきたらそれは反面教師だ。

他が誤っていることもあれば自分の認識が誤っていることもある。

とにかく自分はそうならないようにしようと心をしつけていく。

これは智慧の修練である。

 

昨日の記事で書いたが、心が暗くなるようではどれだけ正しかろうが神仏に帰依したことにはならないのである。

魂が太陽のような輝きを放ってこそである。

ここを強調しておきたい。

 

正しさにとらわれて暗く他を裁くことは最悪の自滅行為ということになる。

では難局はどう突破すべきか。

答えは一つである。

強烈な明るさをもって突破してしまえ。

 

性エネルギー昇華の実践は魂の明るさと直結するものだ。

仏典にはその明るさを磨き出し保つ方法が書かれている。

大乗利他と智慧は不即不離である。

その明るさが世を照らすのである。