武漢コロナが及ぼしている悪影響は実際のところ物理的なものより心理的なものの方が大きい。
人間というのは曖昧なものに弱いのである。
武漢コロナ自体の正体がいまだはっきり分かっていないために様々な説が飛び交っているのが現状である。
いずれにせよ世界経済が大打撃を受けている。
その原因は急激な物不足といったような物質的な問題ではない。
先の見通しの悪さから来る心理的な問題である。
恐慌とはよく訳したものでまさに漢字の如くである。
そのような一連の問題に対処するためにはまず空をよく理解することである。
物理的なこと心理的なことすべては空である。
そして教えを通して定を学び、空より妙有に至ることで安心を得る事が出来る。
無宗教をよしとする者のほとんどは世俗的なゆとりがあるだけであろう。
中には独修から声聞縁覚に至る者もあるだろうが、それでも病気になれば大苦悩を生じるだろう。
いずれにせよ、妙有に至るには優れた師につかねばいけない。
如来との出会いが必要である。
この時代に左翼的に学問に頼り切るのは間違いである。
学問は常に曖昧な中にある。
人間の認識力を前提しているからだ。
空という智慧を活用しない限り、その次元から脱することは不可能である。
一方で、空を空のまましておくことは傲慢と蔑視の情を生む温床にもなる。
すなわち学問の全否定もまた間違いである。
空をしり仏の定を学び智慧を得る事で妙有を感じるようになる。
一切を活かすという観点に立つので、学問もそこから活きてくる。
このような展開がなければいけない。
妙有に否定的な曖昧さは一切ないので、本当の安心が得られるのである。
大恐慌とは人々のネガティブな感情の濁流である。
多くの人が曖昧なものに頼ってしまい不安で心がいっぱいなのだ。
この観察があれば活路を見出すことはできる。
同じ様に消耗しないことから始めていかねばいけない。
三昧の生活に入ることだ。