最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

タフな時代に突入するぞ

暑くなってきた。

すべては鍛錬に通じる。

そして一つ一つを確かな智慧にしていくことだ。

 

私の予想ではこれからが最初の山場である。

部屋に籠ることなど多く人はもう出来ない。

それくらいの不景気が来るのである。

大きな台風も来るし、すでに食料の輸出規制の動きも出てきている。

退避できるのは一部の富裕層のみであろう。

そして彼らは功徳を今世において使い切ることになる。

 

しかし、どうなろうと順次に受けていくことだけ意識すれば十分である。

ここで焦り人を出し抜いたり裏切るようなことだけは絶対にしてはいけない。

また、欲を出して仕事などで無理をするようなこともダメだ。

ご飯を食べられる量だけ口に運んでよく噛んで喉に落とすのと同じである。

倫理や心身の健康のイロハについては既得の知識で十分である。

特に健康に関連していろいろな宣伝が出てくるだろうがすべて無視でいい。

死守すべきは大乗利他の祈り、それだけである。

 

わずかな余裕があるならばそれは祈りと共に様々鍛錬に費やすべきだ。

肉体もそうであるし知力もだ。

絶望的であっても未来に備えることは責務だ。

わずかなチャンスが生じた時にはそれに挑むことは使命である。

ともかく怯えて逃げ腰であってはいけない。

そういう意識では神仏の御心には到底添っていけない。

負けそうになることはあっても歯を食いしばって読経しよう。

とにかく祈りこそが基礎中の基礎である。

 

ストレスが無くなることはない。

それをすべて智慧に変えていく。

きついが、そうしていくのである。