最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

私は私の責務を全うする

うちの子が10歳になった。

生まれる日、偶然立ち合い出産することができ、我が子を抱き上げた瞬間のことを今でも鮮明に覚えている。

自分に懐いてくれるだろうかという不安と可愛さ余る感動で胸がいっぱいになった瞬間だった。

 

あれ以来、オムツ替えから食事の世話までできることは何でもしている。

母親に負けていないというか、むしろ私の方が世話をしている(笑。

保育園の送り迎えは時間のとの戦いを制した。

子供の塾の送り迎えも引き続きである。

とにかく些細な関りが大切だと私は信じている。

子供とはいつでも一緒いう感じで今日まで来ている。

周囲からは異色の家族にみえるかもしれない。

 

映画アルマゲドンに子供は真冬に咲くバラだという台詞があった。

まさにその通りだ。

苦しい時に子供の笑顔にどれだけ救われてきたか。

 

そして、この10年は私自身が最も成長できた時でもあった。

まさに極愛一子という観点から持戒も保たれたのだと思う。

自らの生き方が我が子に影響するがために本気にもなれたのだ。

このブログでは掃除や片付けの重要性を何度も書いているが、それはつまり我が子に伝えたいことである。

 

いわゆる子との濃密な時というものはもうすぐ終わりを迎えていくだろう。

私の人生の節目にもなっていく。

 

思うに、ここからが人生の本番であろう。

4月からPTAの役員をやることになっているから、社会に示していく最初の一歩と私は考えている。

時代がますます荒れていく中、己の培ってきた実力を発揮すべき時がきた。

それはそのまま戒定慧の展開である。

 

私には理不尽が待ち受けている。

しかし、それが今生の私の課題なのであろう。

そこから逃げればきっと間違えたことになる。

逃げずに進み死ぬことが正解であるというなんとも言えぬ確信がある。

 

次世代のための責務を果たしたい。

それは言葉で語ることではなく、おそらく辛苦に耐え抜くことで伝えることだ。

子供達は大人をよくみている。