最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

性エネルギー昇華の実践と自制自由主義の立ち上げ

宗教宗派にとらわれると宗我のもとになる。

宗教家同士の喧嘩。

これは本末転倒もいいところである。

それゆえ、私は性エネルギー昇華の実践という宗教家ならば必須である行為の核を因数分解的に先に括り出すのである。

性エネルギー昇華に焦点を置いた人は卓越していると思う。

あとは各自の自由である。

それはその因数分解の展開の結果ということである。

 

中国共産党が遂に武力という言葉を使い始めている。

台湾に対してだ。

日本を取り巻く未来の環境を想像せねばならない。

今はもう動く時である。

 

私は自制自由主義という言葉を使用していこうと思っている。

これは理論というより持戒の体験そのものがもとになっている。

魂は自律的であってこそ成長が出来るという実感である。

これが他律であったならばそこにあるのは形や偶像のみである。

中国共産党のやっていることは彼らの意図がどうであれ、これである。

 

自制自由主義は魂の鍛錬を怠らない者にしか理解できない菩提道である。

大衆の救済に立っていく生き方であるからだ。

そこには祈りに基づいた自律と利他行がある。

まさに平和に通じるものである。

 

百花繚乱的な政治思想自体にはもはやなんの価値もない。

私の言う自由とは魂の自由のことであり、それに奉仕する法制度だけが意味を持ちうるということになる。

この観点から現行憲法をみるかぎり、現行憲法には正義を多く含んでいるといってよいだろう。

改正の必要はない。

9条については芦田修正の解釈を採用しよう。

9条2項後段の交戦権の解釈については日本国民の交戦権は否定されていない。

また、侵略戦争目的という悪しき目的を持った国家の交戦権が否定されるのである。

全く問題なく、要は政府の本気次第である。