肉体に頼る時代が終わりつつあるというのは本当かもしれない。
たとえば脳の情報をデータ化するという話もあるが、王道はテクノロジーによるものではないと感じている。
テクノロジーに依存せねばならぬ者達はむしろ弱者と定義されていくようになるだろう。
肉体的本能を肯定したルネッサンス文明が明るく語られた時代が終わるのである。
世界史の教科書など読み返して欲しい。
あれだけ中世のキリスト教会が暗い存在として記述されていたことはおそらく意図的であろう。
東方キリスト教の記述が薄いことも気になるところだ。
私もまだ激闘の最中であるから見通しを語るに過ぎないが、ただ自己の実体というのは読経修行を通して得た定により磨き上げられていることはもう間違いない。
苦を通して大きく進化を遂げる者達が出現してくるだろう。
もしそれらの者達が世界政府というならば、肯定せざるを得ないかもしれない。
中国共産党は国際金融資本家の子分のようなものであり、近い将来破滅することはもう確定しているようなものであるが、親分もまたその次に終焉を迎える。
つまり近現代の歴史を書いてきた者たちが終わるのである。
人口5億というあの説ももしかしたら誤解があるのかもしれない。
覚醒する者の人口といえるかもしれないからだ。
正しく修行できること自体が今は幸いである。
認識は必ず進化する。
いつまでも教養としての宗教ばかりやっていては本当にもったいないことだ。
人間が浅ましくも神仏の選別をする必要はない。
真実に到達しようという意欲を神仏が必ず汲み取ってくださるからだ。