最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

皆これから一度は風邪をひく

大切なことは感染者数の公表自体ではない。

医療体制の準備がどこまで進んでいるかを公表すべきだ。

自粛をしてピークを遅らせる作戦はそのためにあるのだから。

 

このブログでは1年は続くと予言しているが、いろいろ説があるようだ。

しかし長期化するという点ではほぼ一致をみている。

いずれにせよ、はっきり言えることはこの1年以内にたいていの人が風邪をひくということである。

誰も言わないので言っておく。

そうなった場合、武漢コロナとの区別がつかずに面倒なことになることはもう必至である。

しかし、それでいいのだ。

誰も人を責める資格がなくなるからである。

感染に対する差別はなくなっていくだろう。

その時は心理的な意味での収束になる。

 

もし医療体制の準備がもうこれ以上不可能というところまできているのならば、経済を回した方が傷は浅くなるはずである。

ただ、これは少しオカルト的な言い方になるかもしれないが、昔と同じ様に経済を回そうとすればウィルスに殺されるだろう。

そうではなく、イメージとしては自然環境に寄り添うように動き始めることである。

生き方を変えるようなつもりで社会に戻るのである。

やや現実に即した言い方をするならば、免疫力が落ちないような生活をすることである。

たとえば、酒はやめるべしということはやはりきっちり繋がるのである。

 

神仏にいかに祈りを捧げようともそれを認めるか認めないかは神仏が決める。

これは少し恋愛と似ていてる。

自分が決めるのではなく相手が決めるのである。

自分はただ傷つきながら一生懸命になるだけだ。

 

メディアは少しずつ自らずれた方向へ進んでいるようである。

楽しんでいるようにもみえる。

武漢コロナとの付き合い方は祈りを通して決めていくべきだろう。

私は以前から言っているように正しい日常の継続が重要であると思っている。

その意味での自粛はしなくてよいと感じている。