忍耐力が最も大切だ。
実態に即せば辛抱だろう。
かっこよくはない。
よく悟りを語る人がいるが、経典を根拠して一応の説明をしてみたところで実際にその通りに当人が生きているかはまた別の話である。
悟ってないのに悟ったとは絶対に言ってはいけないのであって、自らの体験を超えたことを言う時には謙虚さが必要なのである。
損得勘定のフィールドに持って行かれると辛抱が難しくなる。
ギブアンドテイクが世間的な正義であるからだ。
しかし、世の中には持っていくだけの人がいる。
この光景を油断して眺めていると腹が立ってきてしまうのである。
尾畠春夫さんが、自分が悪い事をしないかいつも恐れているという趣旨の発言をどこかでされていたのを印象深く覚えている。
教えについてもある意味それくらいの警戒心があった方がいいのかもしれない。
漫画のバキ道。
囚人編は最高におもしろかった。
闇討ち、騙し討ちなんでもありなのである。
信心信仰の世界でもまったく同じであると思ったものだ。
たいていは凡夫と同じ様になってしまうものだ。
悪い事をしないように歯を食いしばって耐えることこそが首の皮一枚である。
教えがどれだけ血肉となっているかは最も腹の立つ瞬間に試されているのである。
それはたいてい騙し討ちのような形で訪れる。
今日は何の話か分かるだろうか?
夫婦喧嘩の話である(笑。