最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

祈りとは観念の力みではない

全国が緊急事態宣言の下に入ってしまった。

経済が止まることでかつて経験したことがない不景気がやってくるだろう。

結局政府は微々たる給付しかしないようだ。

この先どうなるか分からないが、いい奴ほど友達に救いを求めない。

せめてこのことだけはお互い忘れずにいようではないか。

 

自分だけよければいいと願うことが何に繋がるか考えたことがあるだろうか。

それは自らを餓鬼界や修羅界におくことに繋がる。

それぞれの世界の掟に支配されてしまうことになるのだ。

そして、教えの尊さすら感じられない存在になっていく。

こうなってしまうと惨めな最後になることはもう目に見えている。

 

これからは神仏に任せ切る。

ここまで来た以上は、もうそれしかない。

人事を尽くし切ってしまった以上は、本当にそれしかない。

 

私は今日ひとつ懸念していた仕事に区切りがついた。

そしてこのタイミングである。

いつも見ていて下さるのだなと感じるのだ。

不思議と不安が消える。

神仏は確かにある。

護法善神様も確かに存在する。

この温かい確信があればこそ、先を明るくみることもできる。

ありがたいと思うのである。

応えたいと思うのである。