最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

なめてかかっていると地獄に落ちる

ホテルに入った瞬間、酒を飲んでバイクに乗った瞬間、多くの人はそこだけしかみていない。

不倫だ犯罪だと大喜びして叩き放題である。

これは明らかに人間界でも餓鬼や修羅に近い層である。

 

苦しくて自分の事だけになってしまうような体験は誰でもある。

不倫にしてもそこに至る過程には同情せずにはいられないような事情があったりすることもあるだろう。

酒気帯びで警察に捕まった時以外は治療に全力を尽くしていたかもしれない。 

 

そもそも家庭や未来を犠牲にするような行動をそう簡単にとるだろうか?

深く思い悩んでつい心に魔が差してしまったことについて許されるべきではないとそれは人間が使うべき言葉ではない。

ジャッジは道理そのものが行うのだ。

 

道理はある意味無慈悲でもある。

本人たちは誰に言われるまでもなく自分自身を騙せずそして許せずこれから地獄のような苦しみを味わう。

一瞬の過ちであったのならば後悔はなおさらである。

 

よくよく注意せねばいけないのは、酒と異性である。

世上ある数々の失敗を因数分解すれば必ず酒と異性が括り出されてくる。

愛欲の根は夏場の雑草と同じである。

とってもとってもしばらくすると繁茂している。

酒はそれを助ける太陽や雨のようなものだ。

だから不断の節制がなくてはいけないのである。

 

人間誰しもよくなりたいと願う。

おそらくそれは何かの法則であろう。

そして、その時に妨げになるようなことが罪の本体である。

それが積もった分だけ浄化がきつくなる。 

ただでさえ、人類全体がきつい浄化作用の真っただ中にいる。

本気になってやり直そうと思った時にやらないはずのことは今もやらない方がいい。

 

踏み外す時は自分が踏み外す。

そして無理解に取り囲まれるのである。

そういう無慈悲な局面が存在するのである。

地獄を甘く見積もってはいけない。