最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

武漢肺炎は中国共産党にすべての責任がある

見舞いの電報を送ることで中国責任論を回避しようとする手法に、中国共産党の思考の癖がみえるというものだ。

しかし、責任回避という目的を持った良心というのは良心ではない。

世界中から損害賠償を請求される将来はもう確定している。

 

中国の次の一手は多額の資金協力による懐柔であろう。

これが脅威である。

一帯一路に協力した国もこれで懲りたとなれば話は違ってくるだろうが、金の魔力に再び取りつかれて同じ過ちを繰り返すところも出てくる。

日本も観光業界の出方次第では国内世論の分裂が生じるかもしれない。

とにかく欲望と結びついた時のお金の力は侮れない。

 

円安が進み、日本の経済事情は激変するかもしれない。

今度ばかりは本当の貧困に直面するかもしれないのだ。

これを食い止めるためには、自分の国は自分達で守るという決断をする以外にない。

内需を鍛えるのだ。

言いかえるならば、生活の次元を変えるのだ。

マスコミが主婦(主夫)の意見として、一円でも安く!と言う。

これが一番身近にある古典的な洗脳である。

この洗脳のために、知らぬ間に外国のために消費し、意図することなく日本人の生活を間接的に殺しているのである。

仕方ないと思うか、消費行動を出来る限り変えるか、これはもうどちらかしかない。

安易に外貨を稼げる方法を選んで豊かさを維持しようとしたツケが今にある。

外貨が稼げなれば貧しくなるという洗脳から解けることなく今まできてしまったツケである。

変えようと思えば痛みはあるに決まっている。

 

安倍首相はもう信用できない。

しかし、次の政権を担える政党もないのが現状である。

混沌とした時代が数年は続くだろう。

ただ、そういう中でも立ち上がってくる者は必ずいる。

我々がするべきことは、日々自己研鑽を怠らないようにすることだけである。

チャンスがきたらいつでも仕事が組めるようにしておくことである。