最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

ローカリズムの時代へ

孫正義東日本大震災の際に100億寄付すると確かに言った。

あのように注目を集めることが彼の特異な才能なのだろう。

今回は武漢コロナに乗っかろうとしている。

私は彼が立派な人間だと思ったことがない。

詐欺寸前の手口で楽して儲けたい人にとっては英雄なのかもしれないが、私からしてみれば、調子のよいことを言って他人の金を集めてそれを転がしてきただけの人である。

 

そういう人がグローバリズムの視点から日本を語ろうとする。

日本は世界に比してダメになると。

片腹痛いのである。

グローバリズムABCマートで売っている安いシューズのようなものだと思う。

消費者は目の粗いサイズに自分が合わせて選ぶことしか出来ない。

グローバリズムが目指しているのは消費者の生活を幸福することではない。

安売りでシェアを奪い売上を伸ばすことがグローバル企業の目標なのである。

もちろん彼らとて理想は語る。

しかし、美しい器に盛られた毒のような存在である。

安さに釣られて自身に合わないシューズを履き足を壊す消費者が続出しているのが現代の世界の姿である。

 

これからは間違いなくローカリズムだ。

日本の製造業の本旨はもともとローカリズムであった。

その本旨はそのままソフトでもあった。

消費者個人の足にばっちり合ったシューズを提供する。

企業はまずそれを考えた。

一方消費者はそれ対して惜しみない対価を払うことを忘れなかった。

この循環が昔はあったのだ。

これからはただこれをもう一度取り戻せばいい。

人を大切にしよう。

日本の最先端の技術は必ずこの過程で血肉となって収まってくる。

孫正義の言うことに耳を傾けていたらますます日本は悪くなるぞ。

 

グローバリズムは唾棄すべき時期にきている。

人を大切にできないことが判明したからだ。

これからの企業は未来の理想を語る中で消費者個々人と向き合っていくべきだ。

武漢コロナで得た教訓を踏まえれば、まずは日本国内からでよい。

もうブランドが大切というわけではない。

ハイテクを駆使し個人の生にとって意味のある商品を提供できる企業が注目を集めていく時代になっていくべきだと私は信じている。

提供する人と消費する人が互いに敬意をもって共存できるような社会を私は夢見ている。

無名の企業でも私の足にジャストなシューズを提供してくれるならば、私は迷うことなくユーザーになるつもりである。