最悪を想定して準備をし、楽観的に今を生きる。
当面、政府は信用できない。
一見するとスーパーに商品がたくさんあるように見えるが、すぐになくなることを私は知っている。
3.11の時は関東に住んでいたからだ。
納豆のような商品はすぐになくなるし、流通が戻るのにも時間がかかることも知っている。
テレビでお金持ちのコメンテーターがデマによる買い占めを批判しているが、私はそう言う彼らには「あなたは人より多くお金を貯め込んでいませんか?それデマですよ。」と反論したいくらいだ。
もちろん、前にも書いた通り争奪戦に巻き込まれた時は自分を反省すべきであるが、準備が可能なときはしっかり準備をすることが正しい行いである。
日本の食料自給率は驚くほど低いし、今後、食糧の輸入がうまくいかなくなる可能性はとても高い。
ちなみに、輸入がストップした際の食糧自給における農林水産省の計算はカロリー計算であったように思う。
PFCバランスは無視のようにみえるので、自衛手段をもっておくべきなのだ。
もちろん基本は米だが、タンパク質や脂質もしっかりとれるようにしておいた方がいい。
その方がいざという時によく動けるからだ。
しっかり出来る範囲の準備をしたら、あとは今を楽観的に生きるだけだ。
戒定慧である。
これはつまるところ、自身を神仏に委ねるということだ。
そういう意味において、楽観的という言葉を私は使いたい。
人生において本当の意味で必要な知識はやはりすべて仏典に収まっている。
敬愛する師がいるならば、その生き様を思い返すことも大切だろう。
読経をしよう。
そして、読経の歓びとして節制することで免疫力も安定する。
以上は誰でもその気になれば経験できることだ。
日々修練を続けていると、定が三昧に入るのか、感情や表層的な意識とは別の、何かはっきりとしたものが自分の中心に在るようになる。
信心信仰が深まれば、武漢肺炎にかかるかかからないかはたいした問題ではない。
人が病に倒れ死ぬことは決まっていることである。
久しくこの世に住することを乞うてはならないと仏典にある。
大切なことは生き様であり死に方だ。
仏の教えをしっかり学ぶことだけが唯一の安心立命の道である。